私の二都物語
村松友視
1972年3月14日、ソウルの西江大学構内において、状況劇場の「二都物語」が上演された。参加メンバーは唐十郎、李礼仙(いまは麗仙)、大久保鷹、不破万作、根津甚八……ちょうどその頃、病気のため仮釈放となっていた金芝河が、この公演に協力した。私は、公演の直前に日本へ戻らねばならなかったが、ソウルと東京を楕円の二つの中心点ととらえた「二都物語」という作品とは、奇妙な縁をもっていた。
私は、当時中央公論社の文芸誌『海』の編集者だったが、河出書房の文芸誌『文藝』に載ったこの作品のため、1971年の12月、1972年の3月、そして上演のあともう一度と、おせっかいにも三度にわたって唐十郎さんとの旅に同行した。"いまの唐十郎からは目が放せない″という編集者根性と、「一緒に旅をしましょう」というあの唐十郎独特の、人さらいみたいな手招きにおびき寄せられる気分が、私の中でごちゃまぜになっていたはずだ。
「二都物語」の稽古は、ホテルの私の部屋で行われ、ダブルくらいの部屋に唐十郎一家の五人と金芝河一家の四人が寄り集まり、英語、日本語、韓国語が飛び交う不思議な稽古風景となった。稽古のあとは酒宴となり、唐十郎は李礼仙を頭上にかつぎ上げて回転させ、かつての金粉ショー・ダンサーとしての時間をよみがえらせた。これに対して金芝河は、若い仲間にアイス・ボックスを叩きながらの「アリラン」を歌わせ、自らはそれに合わせて激しい踊りを披露した。「二都物語」の公演は見ることができなかったが、あのホテルの一室での鮮烈な記憶が、私の頭にはずっと灼きついていた。
「二都物語」は不忍池公演の第一弾として行われ、大久保鷹を先頭に水面から机を背負って水上舞台に登場する役者群が、パティ・キムの〜ルルルーという歌声にみちびかれて登場するシーンが、あの季節の観客の心を妖しくゆさぶった。
あれから二十二年、私は林權澤監督の「風の丘を越えて」という映画に誘われて、ふたたび韓国を訪れた。あのとき、金芝河一家がアイス・ボックスを叩いて歌ったのがパンソリであり、金芝河の故郷がパンソリの里の全羅南道であるという記憶が、パンソリをテーマとした「風の丘を越えて」によって、私の?の内側をを鋭くキックした……それが再訪のきっかけだった。
「風の丘を越えて」における最後のクライマックス・シーンのみ、パンソリの唄は吹き替えで、韓国パンソリ界の第一人者・安淑善の唄だったが、今回私はソウルで偶然彼女に会うチャンスを得た。しかも、彼女が高校三年生の少女に、一対一でパンソリの稽古をつけている場に居合せることができたのだった。がらんとした稽古場での厳しいパンソリの稽古が、唐十郎一家金芝河一家の酒宴をよみがえらせた。当時、情報部から見張られていた金芝河のCDが、いまは街のレコード店で売られている。たしかに季節も変わり、風も変わったが、上辺の波のはるか底にあるうねりに爪をかけるのはまだまだ先だ……何度も同じ箇所をくり返す少女のパンソリに耳をかたむけながら、私はそんなことを思っていた。
(1994)
村松友視(むらまつ・ともみ)
1940年生まれ。作家。
「時代屋の女房」で第87回直木賞を受賞。主な著書に「上海ララバイ」「カミさんの悪口」「サイゴン・ブルー」「芝居せんべい」等がある。
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