言葉に救いを。

金時鐘


 十年が経てば山河も変わる、とは世の移り変わりを言い当てた先人たちの言葉だが、十年どころか、「解放」後五十年が経とうというのに、わが祖国の在りようは依然として分断固定のままである。もちろん国のたたずまいは南北それぞれ大きく変わった。それはそのまま対立激化のうとましい経緯であり、かたくなな政治信条が支配しつくした、社会的、文化的、ひいては教育、芸術に至るまでの相容れない変動であった。私たちは同じ言葉で反目し、離反し、同じ言葉の母国語で、遠く同族どうしの融和をへだてた。まず救われるべきは私たち自身の、承知で閉ざした奥ぶかい言葉ではあるまいか。

 「ワンコリアフェスティバル」も今年で十回目を数えるという。どういう形であれ、十年ひと昔といわれる年月を、一つの「コリア」をかかげて共通の場づくりをつづけてきたことは、未だかつてなかった在日同胞の意志的な動きと言ってよい。これは挙げて、鄭甲寿君をはじめとするワンコリアフェスティバル実行委員たちの、ねばりづよい行動力が実らせた貴重な成果である。今更ながら、若い在日世代たちのしなやかさには多くを教えられる思いだ。

 しかし、十年はやはリひと区切りである。


 なにが動き、なにを動かしてきたかは、主動的に十年を重ねてきた側の当然の考察でなくてはならない。総和をかたどる民族の名稱が本国にすらないのはたしかに隘路には違いないが、一つの祖国を志向するのに「ワンコリア」でしか言い表せないのもまた、ふくらんだ風船を追うているようで心もとないかぎりだ。はしょって言えば、「ワンコリア」で寄り合っている心情の中身もひとつ、まともには問い質せなかった″十年″でもあったということだ。


 私にはかねてから、夏がくるたびに思い描いた夢があった。それはどこかの海辺でも山あいでもよく、要するに何十張りかのキャンプが張れるところならどこでもよいのだが、八月十五日を共にすごすため、日本各地から同胞の若者たちがリュックを担いでやってくるのである。テーマごとのグループでふた晩ぐらい、夜を徹して談じ合うのだ。なぜ私たちは北か南なのか?民族の大義をしのいでいられるほどの、絶大な思想・主義の実態とはなにか。「在日」を生きるとはどういうことで、私たちは果たして、祖国の命運と兼ね合うことができるのかどうか?等々々。談じては歌い呑み、手を取って踊ってまた語る。この途方もない「在日」の願いを私は十数年もまえ、夜更けた山小屋のほのぐらい部屋で、同行の鄭甲寿君らに語ったものだ。


 在日する私たちは南北の立場がどうあれ、日本というひとつどころを同じように生きている。「在日」の実存は居ながらにして、同胞融和の先験性を秘めているのだ。心ない日本人からのいうところの民族差別も、私はそれを示せないことへの苦い試練とさえ思っている。本国の南、北にも、在日の融和は一定以上のインパクトを発揮しよう。立場や主義が違うからといって背を向けるのではなく、私たちはむしろ違うからこそ向き合うべきであり、違っていてもつながっていられる同胞像を在日の展望として創りだす責務が私たちにはある。それを果たせるだけの諸条件は、私たちが意志的にひとつところを生きる在日人であるかぎり、十二分にある。


 ほどなくして、鄭甲寿君らは水々しい感覚で「ワンコリアフェスティバル」を発案し、具現していった。楽しければ人は集まる。祭りのそもそものカを信じつつも、私にははねたあとの侘しさもまたひとしおである。私に居残った言葉がないのだ。十年目だ。そろそろ声を上げよう。


(1994)


金時鐘 (きむ・しじょん)

1929年、朝群元山生まれ。
長年、高校・大学の教職にたずさわる。詩人。現在大阪文学学校で教える。
主な著書に、評論集『「在日」のはざまで』(毎日出版文化賞)、詩集『新潟』『猪飼野詩集』『光州詩片』など。それらの集成詩集『原野の詩』(小熊秀雄賞特別賞)。最新刊に評論集『草むらの時』、詩集『化石の夏』。


 

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